2011年11月21日月曜日

初雪

 初雪です。一日中降り続き約25cmの積雪。ビニールハウスはたたんだし、準備万端、と言いたいところですが、家の雪囲いがまだできていません。畑にはダイコン、カブがまだ成長途中のが残っています。この雪が溶ければいいのですが、こればっかりは全く予想がつきません。カメムシが多く発生すると、大雪になるとか、カマキリの卵の位置で予想ができるとか、いろいろ言われますが、あまり当てになりません。明日は雪囲いをします。

2011年11月13日日曜日

もうすぐ冬?

 紅葉と言うより、もう枯れてしまい寒々とした景色になっています。数日前に軽い霜が降り、どうにか取れていた夏野菜、ピーマン、シシトウ、ズッキーニ、インゲンがアウト。支柱を抜き、刈り倒す準備を進めているところです。春に立てたビニールハウスをそろそろたたむ時期に来ています。

 一昨年には11月20日に初雪。それも大雪になり、ビニールハウスがつぶしてしまった経験があり、ここ雪国では何しろ早め早めに事を運ぶ必要があります。

2011年11月7日月曜日

秋大根

 ここ2,3日雨続きです。「一雨一度」秋は雨が降るたびに1度ずつ気温が低くなっていきます。いつもならとっくにストーブを焚き続けている時期ですが、今年はまだ数回しかストーブに火を入れていません。それだけ暖かいのです。しかし、さすがにピーマンもナスもインゲンももう終わり、夏野菜はあとズッキーニががんばっています。

 今はなんと言っても大根です。秋のこの時期の大根はとても美味しいです。つぶつぶファームでは短めで早生の源助大根、おでんなど煮て食べるには最高の大蔵大根、大きく太く煮ても生でも美味しい三浦大根の3品種が植わっています。葉っぱもゆでておひたし、炒めても美味しく1本あるといろいろな料理に変身します。

 さて、恒例のいのちのアトリエオープンハウスが12月30日から1月3日まで行います。申し込み受付がはじまっています。つぶつぶの料理三昧、大家族で過ごすいのちあふれる生活を体感しに来てください。

2011年11月4日金曜日

柿取り

11月とは思えないほどの暖かさ。いのちのアトリエの柿、昨年に続き数十個がなりました。柿取り専門の長いはさみがあります。握ると先端のはさみが閉まり切れます。そしてすごいのは握っていると切った枝が落ちずにはさみに付いているのです。握ったままおろせば柿に傷が付かず取れます。もちろん長さも調節できますから高い木の上まで届きます。

 おやつは木の下でおにぎりとお茶。暖かさで眠気も襲ってきます。

 包丁で柿をむき、10個ずつひもに縛って軒先に干します。小国町ではかなりの家で柿を干しているのが車窓から見ることができます。

2011年9月26日月曜日

【つぶつぶヒストリー12・雑穀つぶつぶの輪を大きく】

土地と人件費の高い日本で年に1回しか経験できない、そして手間のかかる雑穀生産という仕事に取り組む生産者はほんとうに希少です。

トラストによって、信頼というエネルギーを生産者にプレゼントすることができるのはほんとうにうれしいことです。


雑穀は、きまぐれで買ったり食べたりするものではないことを知ってもらう意味でも、つぶつぶトラスト・国産雑穀定期便の輪、そしてつぶつぶ栽培者net. を広げ育てていきたいと思っています。

生産者が増えるためには、雑穀を継続的においしく食べる人、家族が増えていく必要があります。 


「伝えたい!いのちを輝かせるおいしさ」といういるふぁのメインの活動は、おしい雑穀料理の作り方を伝えることです。


未来食の考え方を基本に、環境汚染時代をおいしく生き抜く食の理論と考え方を学ぶ未来食サバイバルセミナーの運営は、ゆみこの役割です。


地球と体の中を同時に癒す力を持った食生活をいるふぁではつぶつぶピースフード、料理をつぶつぶグルメクッキング、という形で伝えています。


 私たち家族といるふぁの仲間たちの間では“雑穀”をテーマに自分探しが始まっています。読者の皆さんも雑穀栽培を通して、新たな気づきや楽しさを見つけていただければ幸いです。 

 

2011年9月25日日曜日

【つぶつぶヒストリー11・つぶつぶカップシリーズ誕生】


地域のおじいちゃんやおばあちゃんの手で自給用に作られ、地方の市などで細々と売られていた雑穀が注目されだしたのは20数年ほど前、

一時的に雑穀がアトピーの治療食として推奨されたのがきっかけです。

その結果、急騰する需要に生産が追いつかず、飼料用に輸入されていた、農薬や燻蒸薬品の残留しているかもしれない雑穀が、国産無農薬と表示されて出回る等の事態が起こりました。

今でも、雑穀の流通量は国内生産量の10倍にも達しています。

輸入雑穀の中には安全面の心配がありますが、それ以上に問題なのは食味です。日本の雑穀は元々おいしい品種がていねいに栽培され種が継がれてきていますが、飼料用に栽培されてきた雑穀は食味などお構いなしです。


肥料を多投すれば雑穀は苦くなりますし、保存状態が悪ければ、臭いがついたり味が劣化したりします。

こういう雑穀にあたってしまった人は雑穀そのものがおいしくないと思ってしまいます。国産の無農薬のおいしい雑穀の生産を増やしていかないと、大変なことになる、何とかしなければと、いるふぁ内で討議を重ねて誕生したのがつぶつぶトラストというシステムです。


幸い、無農薬・無化学肥料で雑穀の栽培に取り組む会員生産者のネットワークつぶつぶ栽培者net.も育ってきていました。いるふぁで全量買い取るという約束で育ち合ってきた頼もしい会員たちです。


年が明けたら、種を蒔く前に予約してお金を払い、畑に思いをはせながら秋の稔りを待ち、収穫調製を経て食べられるようになった雑穀を、翌年1月から1年間定期的に届けてもらう、というシステムです。


雑穀を定期的に食べて、畑と体を応援しよう!と呼びかけての募集に百数十人が応えてくれました。そして、年々生産量と参加者が増えていっています。

  ■つづく■

2011年9月24日土曜日

【つぶつぶヒストリー10・雑穀探求で世界を旅する】

様々な取り組みが徐々に浸透して、今では雑穀が何かを知らない人はいないでしょう。

雑穀をごはんに炊き込んで食べる人が激増しているという事実は、ほんとうに感慨深いものがあります。

20数年前までは、若者のほとんどは、雑穀の存在すら知りませんでした。雑穀は、畑からも日本人の意識からも消滅しようとしていたのです。

いるふぁを設立してからは、ゆみこや子どもたちとともに在来種や在来農業を守る草の根会議などに出席するために、そして、雑穀の残っている文化を訪ねて、中国の雲南地方、ラオス、タイ、インドネシア、エクアドル、ブラジル奥地、インドを旅しました。

そして、日本に起きている雑穀の運命は世界的な規模で起きていることの象徴だということに気がつきました。

そして、2002年に「エチオピア、とインドからゲストを迎えて国際シンポジウムと雑穀祭を開催しました。

農水省、環境庁にも後援してもらって2日間の祭は雑穀を広める山越えの大きな一歩だったなあと感じています。


幻のシンポジウムといわれる「国際雑穀食フォーラム」の中で語られたことは、「雑穀が未来をつくる」(創森社刊)にまとめられています。


  ■つづく■ 

2011年9月23日金曜日

【つぶつぶヒストリー9・「いるふぁ」の呼びかけ】

そして、同じ年に私たちは、「ピースフードアクションnet.いるふぁ」の設立を呼びかけることにしました。

「伝えたい!命を輝かせるおいしさ」をテーマに、こんなにおいしい生活があることを一人でも多くの人に知らせたいという思いから呼びかけをはじめました。

同時に、「雑穀の種を蒔こう!」と呼びかける「ライフシードキャンペーン」をスタートしました。

やっと雑穀の種を入手することができたので、自分たちがチャレンジするのに道連れが欲しかったのですね。

運良く読売新聞が1/2面サイズにに大きくキャンペーンを取り上げてくれたおかげで、その年、200人以上の人々が、雑穀栽培にチャレンジするという絶好調の展開になりました。

勢いに乗り、また責任の重さも感じての雑穀栽培がここから始まったのです。

「いるふぁ」の目的は、「食」と「暮らし」をメインテーマに、価値観と日々の暮らしのあり方を見つめ直し、一つひとつ転換していくことで、持続可能な明るい未来を切り開いて行こうとしている仲間たちをつなぎ、心と技を伝え合い、学び合い、育ち合うための場づくりを目指す心のネットワークです。

International Life & Food Association」の頭文字をつなげたILFAが国際名です。


少しづつ少しづつ開いてきた畑は、今では4反ほどに広がりました。


当初は家族総で田んぼも作りましたが、近くに住む井上正明さんという40年以上無農薬の米作りを続けてきた真っ正直な方との出会いがあり、米は任せて自分は雑穀に集中しようと決めました。

家の東側の広い土地を七色の雑穀畑にするという、大変だけどやりがいのある夢が着々と具体化して「つぶつぶファーム」と呼ぶにふさわしい農場に囲まれた家へと「いのちのアトリエ」は成長しました。

雑穀の稔る姿を見たことのない人のために、雑穀畑を散策した気分になれる映像をたくさん撮りました。

そして、雑穀栽培の難関である殻取り調整技術を伝達するのに、私が直接教えられたらと考えて、「郷田和夫の雑穀調整技法」というDVDに合わせてまとめました。

雑穀の稔る姿にふれ、調整のプロセスにふれることは、今食べている雑穀がどんな過程を経てできているかを知るよい機会ですし、とっても大切なことです。


  ■つづく■

2011年9月22日木曜日

【つぶつぶヒストリー8・未来食などの出版へ】


家作りに先だって、畑を耕し、井戸を掘りました。

最初の年に初めて手作りした家で冬の間にゆみこがまとめた野菜料理の本「ベジタリアン野菜クッキング」(絶版)には、高キビハンバーグもすでに登場していて、とてもよく売れてロングセラーになっていました。

ゆみこは、引っ越してくる前年まで、2番目の本の執筆に没頭していました。書き終わった総仕上げに、ゆみこと一緒にアメリカに行き、故・ヘルマン相原氏を訪ねました。ヘルマン氏は未来食の基本となる、酸アルカリと陰陽を横軸と縦軸にした指針でアメリカ人を玄米菜食に導いてきた日本人です。

未来食の内容についてアドバイスと許可をもらうための旅でした。もう一つの目的が、豪雪の中で快適に省エネで過ごせる家の構造のヒントをつかみたいというものでした。

氏は「今まで2万人以上の人を指導してきたけどあなたのような質問をしてきた人はいなかった。桜沢先生は、次にバトンをつなぐのは女性だといつもいっていたなあ。」と喜んでくれました。

家作りのヒントもたくさん得て、満たされた気持ちで帰国しました。

そして、本は、家を建て始めたのと同じ1995年に出版されることになりました。

環境汚染時代をおいしく生き抜く・未来食というつぶつぶクッキングのバイブルとも言える本です。

  ■つづく■

2011年9月21日水曜日

【つぶつぶヒストリー7・大家族生活を体験する場】

そして、山形移住の当初から楽しみで続けて来たオープンハウスは、いのちのアトリエに移ってから、ますます魅力度を増し、大自然に抱かれての大家族ライフを体験する場として人気が高まっています。

南側に大きな吹き抜けのガラス張りの温室のある、国産材100%で作った、半セルフビルドのエコロジーハウス「いのちのアトリエ」。家の西側と南側と東側に畑が広がっています。

いのちのアトリエでは、

雑穀栽培と種継ぎを柱に大地に根ざした農的暮らしの実践研究

生命力を高める自給型食生活と雑穀料理の実践研究

エネルギー消費の縮小とエネルギー自給への取り組み

セルフビルドによる第三の皮膚としての生きた家作り

農的暮らしに合う家、いのちを育む家

パーマカルチャーの手法によるフィールドの整備

いのちのバランスをケアするセルフヒーリング術

・脱学校、脱会社、ファミリービジネ スの創造

女神文明等、様々な暮らしの研究

等々を、研究室に閉じこもって頭でっかちで進めるのではない、当たり前の毎日の暮らしとして進めています。

オープンハウス中に、帰りたくない、また行きたい、という子どもたちの声や、どんどんキラキラした瞳を取り戻して若返っていく大人たちを見ていると私たちも、エネルギーが高まるのを感じます。

地球という生きた大地に抱かれて生きる日々の暮らしの中には、たくさんのキラメキがあります。

明るい光で起こしてくれるお日様、暖かくなる空気がどんどん空へと登っていく靄(もや)、毎日その姿を変えていく森の木々、薪割り、薪運び、風呂焚き、ストーブ炊き、みんなで力を合わせて楽しむ料理、走り回る子どもたち、全員揃っての「いただきます」で始まる食事、そして幸せな雑穀スイーツのおやつタイム、毎日が達成感の連続で、大人も子供もどんどん自信がみなぎっていきます。

何のプログラムもなく何の縛りもない中で夢のように展開する心のふれあいやハプニングの連続に、誰もかもがリラックスしてあっという間だけど満ちた時を過ごします。

この心の高まりとふれあいこそが、現代社会が置き忘れてきてしまったものだなあと痛感します。


  ■つづく■

2011年9月20日火曜日

【つぶつぶヒストリー6・いのちのアトリエの建設】


運良く、土地を提供するから来ないかと誘ってくれる集落があり、雪の積もった三月にもかかわらず、その土地にピンと来るものを二人で感じて引っ越しを決心しました。

新たな夢を実現するために、1995年の7月から現在の住まいであり、オープンハウスの会場でもある建坪48坪床面積120坪の実験手作りハウス「いのちのアトリエ」を作りはじめました。

バイオガスキャラバンの桑原さんとの出会いがあり、急速に普及した水洗トイレのように、私たちの排泄物を一気に海まで流すのではなく、この土地で循環させる方法として、バイオガスプラントを作ることも同時に進みました。

桑原さんはODA の水質技師から農業へのてんかんを模索している方でした。桑原さんからはバイオガスのノウハウを提供してもらい、私たちは雑穀の栽培と料理のノウハウを提供するという形での心響きあう交流の中で、10日間に渡るバイオガス作りに、縁あって集まってきたボランティアのみんなと家族総出で取り組みました。 

穴を掘り、煉瓦を1個1個積んで作った直径4メートルのバイオガスのドームは、土の中にあり2度と見ることはできませんが、13年間、家族や訪れる人々のうんことおしっこをメタンガスと液肥に変えてくれています。

メタン菌という微生物が働いてくれているおかげで、すべてがガスと液肥に変わり、ゴミは一切残らないのが今でも不思議です。火力も強く、ベジタリアンのうんこの量は肉食者の何倍もあり、液肥は肥料としての成分バランスが優れていることがあとからわかりました。

こんなに有益なものを大切にしないで汚物として海に流している暮らしの矛盾は、雑穀を忘れた社会と一緒だとますます強く感じるようになりました。

いのちのアトリエが建っている土地は、標高350mメートル、たっぷりの湧水に恵まれた、四方が見渡せる独立空間です。山間地にはめずらしく一日中、日が陰らないカラッとした心地よい空間です。

北は朝日連邦へと続く楢を主とした雑木の山で、西はわらび畑、南に杉の林と平地、そして県道をはさんで大石沢川。

川向こうの切り立った山は南西の飯豊連峰へと続きます。東には水田と7軒の集落が広がっています。11月に初雪が降り、12月から4月始めまではすっぽりと雪に抱かれた生活が続きます。積雪量は時には4メートルにおよびます。

家作りとバイオガス作りのプロセスは、家作りの始まりから5年間のプロセスを自分たちで撮影してまとめた「風の家族」というドキュメンタリーDVDに収録されています。

   ■つづく■

2011年9月19日月曜日

【つぶつぶヒストリー5・山形への家族ぐるみの移住】


とはいえ、その頃はまだ雑穀を知らない人がほとんどで、知っている人は「まずくてぼそぼそしていて栄養のない貧乏人の食べ物」という意識がじゃまをしてほとんど話も聞いてもらえませんでした。

雑穀の魅力と未来への可能性に気づいた私たちは、どうしても、地面が生きていて作物が実る土地に引っ越したいという気持ちが強くなって、

1990年に4ヶ月の未来(みく)ほか二人の子どもたちを連れて山形県の山奥に引っ越しました。

5メートル3メートルのサイズの約5坪の屋根裏部屋のある家が最初に私が作った家というか小屋です。

豪雪地帯の山形に移住した最初の秋に友人たちの応援を得て建てました。それまでは、やはり友人がはじめたばかりのインデアンテント(直径5メートル40センチの円錐形のティーピー)を注文して、真ん中にいろりを切り、家族5人で暮らしはじめていました。

そして、大自然と向き合いながらの暮らしの実験が始まったのです。

学んできた三つの技のおかげで、何の不安もなく冒険を楽しむことができました。

手作りの小さな家の中で薪ストーブ1個の火を大切に活用しながら、ヒエシチューなどわが家の一鍋雑穀クッキングの傑作が次々と生まれました。

家族みんなで、種を蒔き、畑を耕し、家を造りながら、山々の散歩を楽しむ暮らしに、家族みんなが体全体で喜んで生きてると感じられるようになりました。

次々と収穫される野菜や野の幸山の幸を活用したおいしい料理も次々生まれました。

子どもたちも私たち大人も同じようにキラキラ輝いた目で生きてることがうれしくてしかたありませんでした。

この喜びをたくさんの人に知ってもらえたら、世界を変えることができるのではないかとの思いが、私たち二人の中に湧き起こってきました。

愛着のあるその家を出たのは、そこがあまりにも山奥で私たちには快適ですが、新たな人が住みにくい場所だということと、こんな暮らし方があるということを一緒に暮らすことで知ってもらえたらという思いにはその家は狭すぎました。

そのころには、5坪の家は5年の間にまわりに軒を張り出しては拡張して20坪のそれなりに快適な家になっていました。

その家での住みこなしの体感があるので、私たちは、どんな風に家を造れば雪の中でも快適に暮らせるのかがイメージできるまでに力がついていました。


  ■つづく■

2011年9月18日日曜日

【つぶつぶヒストリー4・雑穀との出会い】

そんな中で、雑穀との出会いがあったのです。

自然食品店に行くと並んでいる雑穀は最初全く目に入りませんでしたが、ある時お店の人からこれは日本伝統の穀物の仲間だということを教わりました。

おそるおそる買って帰って二人で炊いてみて、そのおいしさに驚きました。

かわいらしくて多様な色や形の個性にもびっくりしました。

どうしてこんなにおいしい食べ物を、それも、主食作物としての長い歴史を持つ雑穀を誰も彼もが忘れてしまったんだろうという疑問がわき起こりました。

それとともに、まずい貧しいと誤解されているのに実はこんなにおいしい雑穀のことを調べていけば、何か歴史のひずみを解消する力、未来を取り戻す力が生まれるのではないかと、二人で、その可能性に胸をふくらませました。

ゆみこは、食の方でデザイナーの本領を発揮しだし、雑穀を炊いてはハンバーグやドーナッツなど、現代っ子もうなるおいしい雑穀料理を次々と創作し始めました。

そして、印刷工場の2階を改装して仕事仲間たちと未来食レストラン「fu」という週末レストランまで開いてしまいました。

fu」は風で見えないけれど確かにある新しい躍動のようなものを指すシンボルとしてゆみこが会社の名前にもしていたシンボルワードです。

 毎日毎日の食事のたびに、そして週末レストランでの仲間たちとの工夫のし合いで料理のレパートリーはどんどん増えていきました。

雑穀の食材としての可能性には目を見張るばかりでした。栄養価を評価する研究成果もどんどん出始めました。

レストランはその後、「つぶつぶカフェ」と名前を変えて、現在、東京新宿区と長野駅前にあります。

この春には、「おいしいつぶつぶ」をコンセプトにした雑穀ソースがおいしいパスタレストランが、古巣の江戸川橋に開店することになっています。

  ■つづく■

2011年9月17日土曜日

【つぶつぶヒストリー3・暮らしの探検&冒険の開始】

そして暮らしの探検が始まったのです。

平和な世界を作るにはどうしたらいいか!自分たちに何ができるのか!お金に縛られすぎる生活からどうやって脱出するか!様々な問いの答えを見つけるために二人で様々なチャレンジを続ける中から、

問題解決のために欠かせない三つの大きなポイントが見えてきました。

 一番目にこれだと思ったのが、操体法を核として自分の体の自然治癒力を自分で引き出すシンプルで効果的な方法を教える快医学です。

二人で講座に通ううちに、人の体の治る力やしくみについて理解が深まり、医者も薬も必要ないどころか有害な場合も多いということを確信できるようになりました。

病気への不安も消えていきました。

 二番目にこれだと思ったのが、食べ物を自給することが欠かせないということでした。

その頃小田原にあった生き物共存実験場に毎週通い、農作業のいろはから教えてもらいました。

混植の無農薬無肥料栽培、ミカンの木のある畑からみかんを、外側の皮ごと食た時のおいしさは感動的でした。食べたあとの満足感は、それまで何十個のみかんをこたつの中で食べ続けても得られなかったものでした。

そして三番目にピンと来たのが、体の元気の源である食べ物のことをもっと知る必要があるということでした。玄米菜食の教本や教室で学びはじめ、食材の全取っ替えという革命が起きました。

この三つの技を体得すれば、資本主義経済の呪縛や、近代化の波にのまれている暮らしから自由になれる!と確信した私たちにとって、毎日の暮らしの何もかもが新鮮でキラキラして、自分自身の体も心も躍動しているのがわかりました。

自宅での二人で誕生を待つ自然出産、冷蔵庫なしの暮らし、テレビのない暮らし、医者に行かない暮らし、薬に依存しない暮らし、などなど、次々とチャレンジしていきました。

化繊の洋服は着なくなり、スーパーもコンビニも縁のない私たち、トイレットペーパーくらいしか買いに行かない私たち、都会にいる必然性がまったっくなくなって心も暮らしも自立しているという事実に小躍りしました。

  ■つづく■

2011年9月16日金曜日

【つぶつぶヒストリー2・着の身着のままの南米放浪】


その後、私はヨーロッパの旅を続け半年たっても何もつかめないまま、アメリカに渡りました。


働いてお金を貯め、南米一周の旅に出た私は、最初の到着地で荷物のほとんどを盗まれてしまいました。その事件で、私の中の何かかたいものが崩れはじめました。

着の身着のまま、小さなバッグと再発行してもらったパスポートとお金だけを持って南米各地を旅しているうちに、どんどんほぐれていきました。

一年の旅の間に、イキイキ生きるエネルギーが心の中にあること、体全体で楽しく生きる人々のきらきらした目、貧しくてもせいいっぱいもてなそうとあふれ出る気持ちに、私の中で何かがはじけました。

 そんなときに父が倒れた知らせを受けて日本に戻り、運良く後遺症もなく元気を回復した父を手伝って小さな印刷工場で働きはじめました。

 旅で感じた命の躍動を、どう自分の生き方に実現していったらいいのかと考えあぐねていた時に、ゆみこと再会したのです。

 彼女は帰国後自分で企画デザイン会社を起こしていました。分野の違う女性デザイナー5人の会社です。

女性の感性で女性の心に響く商品を、というコンセプトで社会に新風を巻き込もうとしていたゆみこと、合うたびに何時間も何時間も話し続けました。


  ■つづく■

2011年9月15日木曜日

【つぶつぶヒストリー1・自分探しの旅へ】

私は東京生まれ東京育ちの都会っ子でした。

その私が毎日畑に出て、雑穀を育て、種をつなぎ、

栽培方法を指導する立場になるということは、全く予想外の展開で、自分でも驚いています。


私がどうして雑穀を栽培することになったか、どうして栽培しているのか、

ということをお伝えしたいと思います。


 大きな時代の流れの中で私は、当時高校生でしたが、

学生運動に関わり社会の矛盾と戦っている気でいました。


学生運動はご存じのとおり内部分裂また権力に制圧され、収束しました。


あまりにもすんなり宗旨替えして現代社会のしくみに溶け込んでいく

先輩たちの姿に違和感を感じながらも、自分も印刷会社に就職しました。


具体的に何をどうして行けばいいのかわからないまま悶々とした日々を過ごし、

3年ほど働いた25才の時に、

自分の目標をつかみたいという気持ちに突き動かされてヨーロッパへと旅立ちました。


自分にとって未知の世界であるヨーロッパを回っているうちに

何かが見つかるのではと期待を胸にアテネに着きました。

アテネから船で、クレタ島に渡り、

エーゲ海に浮かぶアトランティス伝説の島サントリーニ島(現地ではテラ島と呼ぶ)へと、

1ヶ月ほどかけてのんびりとまわっていた時に、船を降りたばかりのゆみこに出会ったのです。

途中で道連れになったお互いの仲間たちと連れだって、パラダイスという名前のヌーディストビーチに行くことになり、砂浜で何度か話す機会がありました。

たぶん、その頃の私は相当な石頭、かたい性格だったと思います。

柔軟な多角、多層思考で、いろんなことをキラキラ話し、問いかけてくるゆみこに、最初は驚き、とまどいましたが、自分にはない何かに揺さぶられる自分がいました。

  ■つづく■

2011年6月23日木曜日

雑穀の苗植えが進む

 つぶつぶのみんなが手伝いに来てくれて、雑穀の苗植えがほぼ終了。シコクビエ11枚分、タカキビ5枚分。途中で夕立になり、おやつでお開き。夜行日帰りの強行手伝い。みんな、ありがとう。
 よく22日は大輔が残ってくれたので、モチキビ3枚、ヒエ6枚を定植。
 つぶつぶセミナーで使う山菜を山の中へ取りに行きました。急な崖を下るのに柚月も参加。川と言うよりは沢という感じのところにまだ雪がだいぶ残っていました。雪が溶けたところから順々にウルイやそのほかの山菜が出てきます。ウルイは特に急斜面のしけったところにあります。木の枝を伝ってその場所へ行き、カッターで収穫。岩場ではないけれど、まるでロッククライミングのよう。沢伝いにミズを取り、帰ってきました。約2時間のトレッキングでした。
 大輔には草刈りもやってもらい、畑作業がだいぶ進みました。
 今日は、朝から大雨です。作業はなし。久しぶりにゆっくりしています。
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いのちのアトリエ
mailto:inotinoatorie@tsubutsubu.jp

2011年6月2日木曜日

夏野菜の定植はじまる

 ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、シシトウ、スイカ、夏野菜の苗を植え付けました。ナスは40本。トウモロコシも植え付けていますが、ちょうど食べ頃になると、タヌキが来て荒らしてしまうので今年はしっかり網を張りガードする予定です。
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2011年5月28日土曜日

投稿

 冬の間に切った薪やもらった薪の整理をしました。手強そうな木以外は全部終わって、後は太久が来たときにやってもらえば、今年の分は終了。
 朝食前に、菜の花を摘んでおひたしに。柚月は花が開いたのをせっせと摘んでいます。柚月曰く、「花は取らないでよ!」。
 夕食にはアケビの新芽のおひたし。今ころは採集民族風で昨年の畑に残されたもの、菜の花、ブロッコリー、ニラ、と山菜、アケビの萌え、コシアブラ、タラノメ、などなどで食卓が賑わいます。そう、もうワラビが出ました。早速あく抜きして食べました。
 ボナ!つぶつぶに送りましたので、いのちのアトリエの山菜を食べたい方は、ぜひディナーに行ってみてね。
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2011年5月24日火曜日

 7日間の短期ワーキング・ホリデイの女性が来ました。お昼に来て、すぐ作業開始。苗箱に土入れ、山に土を取りに行く。家の中の薪を外へ出す。夕食用の山菜採り。4時間をみっちり働きました。

 柚月はお姉ちゃんにべったり付き添い、私は楽な一日でした。

2011年5月23日月曜日

 週末東京へ出かけてきました。暑いのなんの。柚月はパジャマ1枚でも暑くて布団を蹴飛ばし、暑そう。

 山形へ帰ってきたとたん寒い。

 新緑も進み、一番遅く葉が出るナラの木からも薄い緑色がいっぱい出ている。もうすぐホウノキの花が咲きそう。

 野菜の種を蒔いたのが、あまり出ていない。今日はもう一度種まきし直さなければ。

2011年5月20日金曜日

山菜採り

 山菜はいつもの年なら順にいろいろ出てきます。カタクリ、コゴミ、一息入れて、コシアブラ、タラノメ、ウド、ワラビと。今年はタラノメまでが一斉に出ています。春は畑のものが少ないので山菜は我が家の食卓には欠かせない食材です。

 柚月も4歳になり、どこまでも付いてこれるようになりましたので、いつも川まで歩いて行き、コゴミ、カタクリを取って、それから裏の山でタラノメ取り、全2時間コースを楽しく歩きます。途中夏みかんの休憩あり。

2011年5月18日水曜日

ワラビ畑の火入れ

 やっと雪も消え、農作業を始めています。昨日はワラビが出るところの火入れでした。カヤやワラビの枯れ草にマッチで火をつけます。ここのところ風が強く、風下から注意深く火をつけます。一番の盛りの時には炎が2mにも立ちのぼり、緊張します。火が消え、水をまき、あと1週間から10日でワラビが顔を出します。

 いつもならこの作業は5月の連休ころなのですが、2週間ほど遅くなりました。ヨモギやギシギシが伸びると、火をつけても途中で消えてしまうので作業日は限定されます。

 春巻きのキヌサヤ、ジャガイモ、ニンジン、ゴボウの種まきも終わりました。

 山の桜がもうすぐ終わり、今やまなしの花が満開です。

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