私は東京生まれ東京育ちの都会っ子でした。
その私が毎日畑に出て、雑穀を育て、種をつなぎ、
栽培方法を指導する立場になるということは、全く予想外の展開で、自分でも驚いています。
私がどうして雑穀を栽培することになったか、どうして栽培しているのか、
ということをお伝えしたいと思います。
大きな時代の流れの中で私は、当時高校生でしたが、
学生運動に関わり社会の矛盾と戦っている気でいました。
学生運動はご存じのとおり内部分裂また権力に制圧され、収束しました。
あまりにもすんなり宗旨替えして現代社会のしくみに溶け込んでいく
先輩たちの姿に違和感を感じながらも、自分も印刷会社に就職しました。
具体的に何をどうして行けばいいのかわからないまま悶々とした日々を過ごし、
3年ほど働いた25才の時に、
自分の目標をつかみたいという気持ちに突き動かされてヨーロッパへと旅立ちました。
自分にとって未知の世界であるヨーロッパを回っているうちに
何かが見つかるのではと期待を胸にアテネに着きました。
アテネから船で、クレタ島に渡り、
エーゲ海に浮かぶアトランティス伝説の島サントリーニ島(現地ではテラ島と呼ぶ)へと、
1ヶ月ほどかけてのんびりとまわっていた時に、船を降りたばかりのゆみこに出会ったのです。
途中で道連れになったお互いの仲間たちと連れだって、パラダイスという名前のヌーディストビーチに行くことになり、砂浜で何度か話す機会がありました。
たぶん、その頃の私は相当な石頭、かたい性格だったと思います。
柔軟な多角、多層思考で、いろんなことをキラキラ話し、問いかけてくるゆみこに、最初は驚き、とまどいましたが、自分にはない何かに揺さぶられる自分がいました。
■つづく■
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