2011年9月19日月曜日

【つぶつぶヒストリー5・山形への家族ぐるみの移住】


とはいえ、その頃はまだ雑穀を知らない人がほとんどで、知っている人は「まずくてぼそぼそしていて栄養のない貧乏人の食べ物」という意識がじゃまをしてほとんど話も聞いてもらえませんでした。

雑穀の魅力と未来への可能性に気づいた私たちは、どうしても、地面が生きていて作物が実る土地に引っ越したいという気持ちが強くなって、

1990年に4ヶ月の未来(みく)ほか二人の子どもたちを連れて山形県の山奥に引っ越しました。

5メートル3メートルのサイズの約5坪の屋根裏部屋のある家が最初に私が作った家というか小屋です。

豪雪地帯の山形に移住した最初の秋に友人たちの応援を得て建てました。それまでは、やはり友人がはじめたばかりのインデアンテント(直径5メートル40センチの円錐形のティーピー)を注文して、真ん中にいろりを切り、家族5人で暮らしはじめていました。

そして、大自然と向き合いながらの暮らしの実験が始まったのです。

学んできた三つの技のおかげで、何の不安もなく冒険を楽しむことができました。

手作りの小さな家の中で薪ストーブ1個の火を大切に活用しながら、ヒエシチューなどわが家の一鍋雑穀クッキングの傑作が次々と生まれました。

家族みんなで、種を蒔き、畑を耕し、家を造りながら、山々の散歩を楽しむ暮らしに、家族みんなが体全体で喜んで生きてると感じられるようになりました。

次々と収穫される野菜や野の幸山の幸を活用したおいしい料理も次々生まれました。

子どもたちも私たち大人も同じようにキラキラ輝いた目で生きてることがうれしくてしかたありませんでした。

この喜びをたくさんの人に知ってもらえたら、世界を変えることができるのではないかとの思いが、私たち二人の中に湧き起こってきました。

愛着のあるその家を出たのは、そこがあまりにも山奥で私たちには快適ですが、新たな人が住みにくい場所だということと、こんな暮らし方があるということを一緒に暮らすことで知ってもらえたらという思いにはその家は狭すぎました。

そのころには、5坪の家は5年の間にまわりに軒を張り出しては拡張して20坪のそれなりに快適な家になっていました。

その家での住みこなしの体感があるので、私たちは、どんな風に家を造れば雪の中でも快適に暮らせるのかがイメージできるまでに力がついていました。


  ■つづく■

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